2006年夏、パリ北東部に位置するベルヴィル。
 「22歳でフランスに来てから、建設業などいろいろな仕事に就いたよ。今まで一週間以上の休暇なんてとったことがないよ。10年ほど前からここで生地屋を始めたんだ。店の名前、スター・オブ・カシミール、いいだろう?カシミール出身なんだ。なんといっても故郷は大切だよ」
 「モロッコには行ったことある?親戚がホテルを経営しているからいつでも遊びにおいで。クスクス(モロッコの代表料理)の作り方なら俺がおしえてあげるよ。フランスでは働いても働いても税金が多くてたいへんだよ、まったく。そうだ、明日の夜、水煙草吸いに遊びにくる?」
 「トルコから来たけれど、クルド人だよ。クルドって知ってる?このカセット聞いてみる?俺たちの故郷の音楽。だからトルコ人じゃないってば!」
 パリに住み始めてから気づくこの街の魅力のひとつは、世界各地からやってきた人と文化が隣り合い、混ざり合いしている様子を至る所で目にすることだ。ここベルヴィルには、中国やベトナム、インドやパキスタン、トルコ、北アフリカや西アフリカなどからやって来たひとたちが多く住む。商店街には生活感が凝縮した独特に密度があり、その密度を醸す源を探るように一軒一軒のお店を訪ねた。
 店に入り、言葉を交わす。カメラを介して見つめ合う。ちょっとした身の上話しや故郷自慢、ときには仕事の愚痴を聞く。こうして、商店街を営むひとたちと少しずつ知り合っていく。その行為は、遠くから眺めると色に溢れて判然としないモザイクの一片に、ぐっと近づいて見てみるのに似ている。そこに生活している一人ひとりに固有の体温があり、彼だけの肌の色があり、その声の感触で語られることがある。ひとが場所と切り離しては考えられないように、場所もまたそこを成すひとから切り離すことはできない。出会ったそれぞれのひとにベルヴィルに辿り着くまでの歴史があり、それはその人のお店の雰囲気に滲み出て、さらにはこの商店街全体の空気を創りだす。
 カメラを片手に店々を訪ね歩いた後、この色とりどりのモザイクのような街をもう一度眺めてみる。すると、以前よりもその輪郭が少しはっきりと浮かんでくる気がする。この通りの向こう側で、今日も彼は変わらずお店を開いていると知っているから。

(『世界』(岩波書店)2008年6月号掲載文)